叔父が予科練にいた時に、写真家の土門拳が一緒に生活して写真を撮っていたらしく、叔父の写真も発行されている本などに残っているし、記念館のパネルにも叔父の写真があった。その叔父に、「予科練平和記念館は必ず訪れるように!」と言われたので早速いってきた次第。
飛行機や戦車・船舶などを含めメカものは大好きなんだけれど、実は『戦争そのもの』については強いアレルギーがあって、戦争に関する記念館や資料館は意識して避けていた。特に『特攻』に関するものからは目を背けていたけれど、今回行った予科練平和記念館での特別展が、『人間魚雷 回天』の展示。奥さんは同行拒否なので長男と二人で行ってきた。
予科練平和記念館は近代的建物で、展示も思ったほど悲壮感はなかったけれど、その悲惨さを次世代に伝えていかなければならないのはわかるんだけれど、空襲や特攻の映像は正視できなかった。
回天の展示を見る前に、自宅で『佐藤秀峰 特攻の島』を読んで予備知識を入れておいた。回天の実物大模型は意外に大きく、操縦席にも座ってみたけれど、メカのチェックどころか取っ手等に触れることすらできなかった・・・。
それにしても、予科練入試のレベルの高さ(超倍率も含め)・入ってからの勉強レベルの高さ・規律の厳しさは驚くばかりだ。非常に優秀で頑健な15歳からの子供たちが、戦場で真っ先に失われていったのが悔やまれる。戦死した予科練生が半分でも生存していたならば、今とは違った日本になっていたのかもしれない。
兵学校が現在の防衛大学校だとすると、予科練乙種は現在の高等工科学校に相当するんだろう。Youtubeなどで見る防大や高工校は、兵学校や予科練のかなりの部分が引き継がれているような気がする。徴兵制には賛成できないけれど、十代の子供たちは一時的にでもこういった厳しい環境に身を置くことは非常によいのではないだろうか。
予科練平和記念館に隣接した土浦駐屯地には『陸上自衛隊武器学校』があり、その一部として一般でも入館ができる『雄翔館(予科練記念館)』がある。平和記念館から徒歩で入れるので、ココにも寄ってきた。
中にはいると、戦死した予科練出身者の遺影・遺書などが展示されていて、涙が止まらない。西沢広義中尉の遺影も・・。解説で流れるテープも聴くのがキビシイ内容。
10代・20代の若者の遺影を見て思うことは、皆素晴らしい若者であったろうことは間違いがないだろうということ。自分が17歳の時にこの『遺書』を書けただろうか、この『遺影』を残せただろうか・・・。